その8人は、ただ演奏をしていれば楽しかった。 欲のないバンドであった。
このメンバーで、楽しい曲を演り、スタジオの前の中華料理屋でゴハンを食べる。 ただそれだけで良かった。

そんな日々は2年以上も続いていた。

2015年に入っても、相変わらず飲んだり、公園で演奏したり、飲んだり、 誰かに恋人ができたり、すぐ別れたり、飲んだり、バンド練習したり、飲んだりして過ごした。

しかし、ふと誰かが言った。
「バンド名を決めよう。」

気付けば、2年間バンド名すらなかったことに戦慄を覚える。
バンド名を「マルメンチグループ」と定めたその時、何かが動き出した。

オリジナル楽曲制作を2年越しでようやく開始。
スロースターターにも程があるが、バンドの記念碑的一曲「どうかしてるぜベイベー」が 最初にバンドで鳴り響いた時、忌野清志郎が微笑んだ気がした。

一度火がついた彼らは、その火を絶やさないように、立て続けにオリジナル楽曲を制作していく。

2年間ただ楽しんでいただけの彼らは、その過程で自分たちのオリジナリティについて理解していた。
気取らないその先にかっこよさがあるはずだった。
次々と息を吹き込まれていくオリジナル楽曲たち。
まず楽しく、温かみがあり、笑いと泣きが同居し、 時にはうなりをあげ、時には君を優しく見つめる、そういうバンドだった。

今日も酔っ払いたちの宴が夜遅くまで続く。星が綺麗な夜に、歌声が吸い込まれていくのだろう。

member


原 健索(vo.)

森 瑞貴(tb.)

村田 然之助(zen)

Lopes(ba.)

船田 葵(key.)

原田 彩加(cl.)

村田 森比古(gt.)

岡崎 祐樹(dr.)

マルメンチグループ。

なぜこの8人のもとに、ハッピーでスマイリーなロックンロールが集うようになったのか。そこにはたいしたドラマもなく、たいした出会いもなかった。だが、それは間違いなく必然だった。


何かが始まりそうな或る夜、村田然之助と岡崎祐樹は、高円寺の練習スタジオにいた。マルメンチグループが産声をあげた歴史的な一日である。唸るノイズギターにほとばしる情熱ドラム。そこには圧倒的な魂と愛があった。しかしその時演奏していた曲は萌え系アニソンだった。マルメンチグループの黒歴史である。


萌えもいけるがロックンロールもいける2人は、メンバーを揃えてロックを演奏しようという発想に至った。


村田は、学生時代の友人である原健策を誘った。彼は類稀なる歌唱力を持っており、会社ののど自慢大会において敵なしと言われていた。学生時代、純朴な好青年だった彼は、グルメで音楽好きでスポーツ愛好家という大変なチャラリーマンに変貌を遂げてブイブイ言わせていた。頼んでもいないのに何度も放たれるチャゲアスの物真似はくどすぎて食傷気味だったが、マイクいらずの声量を持つボーカリスト加入にみなぎる。


一方岡崎は、ベーシストならこいつしかいないと思っていた。かつてともにバンドで音を鳴らしたLopesである。演奏に不安はなかったが、ただひとつの懸念点は、彼はすでに夫であり父親であったということだ。駄目元で打診をしたところ、ふたつ返事で快諾をもらう。彼もまた音に飢えていた一人だった。久しぶりに会ったLopesは、仕事のストレスでこめかみだけハゲていた。真っ赤なボディに金のピックガード、いぶし銀の凄腕ベーシスト加入にみなぎる。


季節が移ろう度に思い出したようにスタジオに入りギターロックを演奏する彼ら。しかし練習をこなす中で、4人はもっと彩りのある音楽をやりたくなっていることに気付く。萌え系アニソンだ。いや、違うそうじゃない。


練習をこなす中で、4人は鍵盤や管楽器といった煌びやかな音色を求めていることに気付く。心に嘘はつけない。かつて、尖ったロック小僧だった彼らは、いい大人になり、ピースフルでエンジョイメントなサウンドを求めていた。それはアラサーを経て、社会という名の荒波に疲弊していた証拠だったのかもしれない。


都内のラウンジでピアニスト活動をしていた渡辺千紗子を勧誘。セレブな鍵盤の響きに酔いしれる。キーボード加入というより、むしろ美女の加入にみなぎる。華奢で小柄な渡辺がブルーシートに包まれた大きなキーボードをかついでやってくる姿は、ヒモ男の死体処理に困った水商売風女を想起させた。クラシック畑の純粋なお嬢様に、変な曲ばかりを弾かせることに多少の罪悪感がつきまとったが、彼女は見た目に反しておっちょこちょいだったので良しとした。


風吹きすさぶ夜、原家でロックンロールを爆音で流して飲み明かす「ハラケンナイト」が開催される。ボリュームのつまみが最大で固定されたこの飲み会は、歌って踊っての伝説の夜。台風直撃の第一回フジロックの再来が新高円寺にあった。しかし後日隣家から猛烈な苦情が来たため、一度の開催で終了した。


そのハラケンナイトに参加していたひとりが、原の後輩である原田彩加であった。記念すべき原田との邂逅。当時23歳だった彼女だが、最初から遺憾なく発揮されたおもてなし精神と親父属性により、オーバーサーティーズのメンバーは思い切り意気投合。「俺たち私たちまだ若い」と全員勘違いしてみなぎる。原健策最大の功績は原田を連れてきたことだという説は今も覆されていない。


当初はバンドの司会者兼ポールダンサーとして勧誘するつもりだった原田は、実はクラリネットの使い手であり、大変流麗なメロディを奏でた。誰も何も言っていないのに彼女は自然とバンドの一員となっていた。それは必然だった。

この音がいいねと彼女が言ったこの日は「ハラダ記念日」である。


彼らは、こうして人が人を呼んでつながっていく関係がとても心地よいことに気付く。また、オーバーサーティーズは、平均年齢が下がる心地よさにも味をしめてしまった。


土筆が顔を覗かせた春先のある日、原田が吹奏楽部時代の後輩の森瑞貴をスタジオに連れてくる。彼女は多くのブラス系バンドで引く手数多の猛者だった。そのキュートな笑顔と、同居する殺人的なトロンボーンテクに全員みなぎる。いつもニコニコ、誰よりも楽しそうに演奏する音楽バカの森に全員癒される。


想定外だったのは、彼女は遅刻の常習犯だったことだ。練習に、余裕で1時間2時間、凄い時は「来ない」というリーサルウェポンを繰り出す日もあった。しかし常に許された。可愛いは正義だった。


山の木々も頬を染める秋、兄に手を引かれ、ひとりの漢が街にやってきた。村田の弟である村田森比古。彼は、兄よりも見た目もギターの腕前も上等だったが、童貞だった。そしてそれを自身のアイデンティティとしていた。女性メンバーは若干引いていた。


村田弟は女よりもバンドに飢えていた。飢えすぎて、ギターからバイオリンからトランペットからバンジョーからクリコーダーから色々な楽器に手を出し、原田から「楽器オジサン」と呼ばれた。本人もその中途半端さを少しだけ気にしていたが、彼は熱い漢だった。情熱という名の勢いをもって加入。永遠の童貞の加入、そして平均年齢が20代になったことに一部激しくみなぎる。


こうして揃った8人は、ただ演奏を楽しんでいた。 欲のないバンドであった。 このメンバーで、楽しい曲を演り、スタジオの前の中華料理屋でゴハンを食べる、ただそれだけで良かった。


そして、そんな日々は一年以上も続いた。


年末が年始にバトンタッチをする。それでも彼らは、飲んだり、飲んだり、公園で演奏したり、飲んだり、誰かに彼氏ができたり、すぐ別れたり、飲んだり、飲んだり、バンド練習したり、誰かに彼女ができたり、すぐ別れたり、飲んだりして過ごした。


ある時、ふと思い出したかのようにバンド名を「マルメンチグループ」と定める。記念すべき日である。長らくバンド名すらなかったことに戦慄を覚える。 この日、バンド名が決まらなかったら「かぼちゃ革命」になっていたらしい。


さらに、オリジナル楽曲制作をようやく開始し、ここへきて本格始動 。スロースターターにも程があるが、バンドの記念碑的一曲「どうかしてるぜベイベー」が最初にバンドで鳴り響いた時、忌野清志郎が微笑んだ気がした。ベイベー。


一度火がついたマルメンチグループは、その火を絶やさぬよう、立て続けにオリジナル楽曲を制作していく。「オシャチコ」「イスカンダルマーチ」「なんか変」リリース。


ずっと、長い間、ひたすらにただ楽しんでいただけの彼らは、その結果、自分たちのオリジナリティについて理解していた。気取らないその先にロックンロールがあるはずだった。 次々と息を吹き込まれていくオリジナル楽曲たち。まず楽しく、温かみがあり、笑いと泣きが同居し、時にはうなりをあげ、時には君を優しく見つめる、そういうバンドだった。


2015年末、大きくステップアップした一年と、翌年の飛躍を祈念して村田弟宅にて大忘年会を開く。酒と笑いと音色と夜風。酔っ払いたちの宴が夜遅くまで続いた。星が綺麗な夜には、歌声が吸い込まれていくんだ。「すこ」「インザナイト」リリース。


そして2016年3月、満を持して、自主企画ライブ「マルメン大晩餐会」を高円寺Club Roots!にて敢行。ライブ1回目にして神ライブで大盛況(たぶん)。自分たちの音を信じていいんだと確信した高円寺の夜。「君とオーラリー」リリース。


出会いと別れの春、渡辺千紗子、自身のピアノ活動に専念するため、MMG48卒業。2年以上、彼らはいつも彼女のまっすぐな瞳と鍵盤の音色に魅せられてきた。だからこそ、彼女が進むまっすぐな道を笑顔で送り出してあげるのがマルメニズムというもの。そう臨んだ渡辺参加の最後のライブは、笑顔で彩るつもりだったが何故だか泣けてきた。


蝉が憂う初夏、新生キーボーディスト船田葵初参加。彼女はとにかく小柄でかよわく、ポテチの袋はひとりで開けられず、声が小さいため常に無言でいると周囲に思わせた。そして猫背なだけで小柄なわけではなかった。その薄い存在感に反して、彼女の鍵盤からおもちゃ箱のように飛び出してくるカラフルなサウンドに全員みなぎる。原田、森、船田の同世代マルメンガールズトリオが結成され、キャイキャイしている姿を見るたびに、オーバーサーティーズの目尻は常に下がったのであった。


船田の加入を経て、メンバー念願の下北沢モナレコードにて初ライブ。モナが長年かけて作り上げてきたその世界観はやっぱり素敵なものだった。船田とマルメンサウンドも見事なまでのケミストリー、若者の街を席巻する。以降、下北沢とモナレコードは彼らのホームとなる。「山菜」「台無しになって」リリース。


冬、全世界の首脳陣の要望を受け、マルメンチグループ初のレコーディングを行う。4日間スペシャルな日々を過ごす。初めての経験にとまどうメンバーだったが、この一連の経験は確実にバンドのステージをひとつ上に持ち上げたのだ。


2017年3月、マルメンチグループ1st mini album「picnic」リリース。あわせて代官山晴れたら空に豆まいてにて、レコ発企画を敢行。ミックスナッツハウス、ナカナカノバンドとがっつり組んだ最高の夜をお届けできただろうか。「クラブロマンチカ」「王子神谷」リリース。


CDを発売したことにより、彼らはそれまでの牛歩戦術が何だったのかというくらい立て続けにライブを敢行していく。まわりのバンドが真剣に音作りをする中、彼らは魂を込めてLINEスタンプを作り、まわりのバンドがライブ練習に時間を割く中、彼らは登場SEを何にするかに最も多くの時間を割いた。彼らの演奏力を置き去りにしたピースフルでエモーショナルなステージングは、見るものすべてを惹き付け、それ以上に自分たちが楽しんでいた。


続けざま、下北沢モナレコード発のコンピレーションアルバム「夢中にならないで」に、「クラブロマンチカ」楽曲提供。彼らが大好きなモナレコードのスタッフ、バンドたちに囲まれ、極上のお祭りマルメンディスコを放つ。


そしてその年の夏、バンド内恋愛が禁止事項になっていたにも関わらず、村田弟と森がゴールイン。人生のうちでも数えるほどしかないような幸せな一日がマルメンチグループを包んだ。幼馴染も兄弟も夫婦も同級生もいる大層賑やかなバンドが出来上がってしまった。


以降マルメンチグループの下には、コウノトリが列をなしてやってくることになり、またメンバーの新天地生活や未曾有のパンデミックなども相まり、少しずつ歩みの速度を落としていく。バンド活動にとって残念だって? そんなことはない、彼らは生活に寄り添うバンドマルメンチグループ。自分たちの気持ち良い速度で歩くからこそ、走る雲や子供の歩くスピードに寄り添えるんだ。「キャンプファイヤー」「バイバイララバイ」リリース。


彼らはマルメンチグループの活動を通して多くの宝石を手にしていた。それは自分たちを結びつける唯一無二の絆であり、その絆から派生した新しい家族であり、盟友と呼んで差し支えないバンドたちや音楽関係者の仲間だった。それらはどこまでもキラキラと美しく、そのままであってもずっと光り続けているものだった。「グータラロック」「ミルクサイダー」「風見鶏の鳴く方へ」リリース。


2023年、気付けば村田と岡崎が萌え系アニソンを演奏していたあの日から10年もの歳月が経っていた。オーバーサーティーズはオーバーフォーティーズになり、マルメンガールズもマルメンマダムズになっていた。そしてその節目に活動再開をゆるゆると行うことをゆるゆると決意。4年間もの間練習を一切していなかった彼らは、久しぶりに入ったスタジオで、強くてニューゲームが出来ていないことに戦慄を覚える。「銭湯と日本酒」「台無しになって RE:」リリース。


to be continued..

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